コロナ限定ホームサウナ

盲目のピアニストや、アウトサイダーアートなど、身体の一部が不自由になるとその分ほかの感覚が鋭くなる、というのはよく聞く話だ。

 

時刻は深夜3時。私は39度の高熱にうなされながらベットに横たわっている。朝から寝通しなのでもう眠気もないが、ただマットレスの深いところにカラダが沈んでくれることを願いながら天井を見つめている。

 

カーテン越しに全開にした窓の外からは、昼間に聞こえた工事の音も、笑い声も、鳥の鳴き声も聞こえない。あるのは少し離れた大通りを時折、車が走り抜ける音だけ。

 

左からサーッ、右からサーッ。

 

最近の車は静かで、軽快に空を切る音は心地がいい。大きなトレーラーが来たときはエンジンの音と振動を部屋まで運んでくるから、目を瞑っていてもわかる。少し不規則で、それでいて止むことはない。

 

左からサーッ、右からサーッ。

 

私は、寄せては返す、波の音を聞いているような、そんな感覚になった。

カラダは熱を帯びているが、氷枕に預けた頭はひんやり冷たくて、水面に浮かんで水の流れを感じているみたいだ。

 

私はこの感覚に覚えがあった。

先日行ったテントサウナでのこと。

 

私はサウナで火照った体を、川の浅瀬で仰向けになり天然の水風呂で冷やした。

この時に耳の穴まで水中に沈めると、不思議な感覚に陥った。プツッと世界から音がなくなり、川が流れる音も、BBQをしている人たちの声も聞こえない静寂が訪れる。しかし神経を研ぎ澄ますと、遠くで滝が流れ落ちる音を意識の深いところでわずかに感じる。

自分が自然の一部に溶け込んだようで心地よく、思わずまどろんでしまった。思い出したように目を覚ましてふと立ち上がると、あらゆる音が一気に頭の中に流れ込んできて、止まっていた世界が再生された。カラダが想像以上に冷え切っていたことに気が付き、ふらつく足で丘を目指して歩く。

川底の小石を踏み締めた時、足の裏に痛みを感じると生き返ったような心地がして、三途の川から此岸に帰ってきたような気持ちになった。

 

人は死の間際に途轍もない快楽に包まれるというが、川から生還したあと、外気浴をする椅子のうえで”整った”私の快楽もそれかもしれない。

 

あの時と同じだ。

 

氷枕の上で私は、頭をジッと冷やしている。たまに起き上がると熱を帯びたカラダはサウナ中のようにポカポカと暑くなっている。体調を崩して、図らずも部屋の中で水風呂とサウナを繰り返しているような私。

 

外気浴の気持ちよさはお預けを食らっていているが、体が完全に回復する時まで、丁寧にサウナと水風呂のルーティンを繰り返してみようと思う。