彼氏はいつも予習する【ショートショート】

「旅行を彩るのは食事でも、絶景でもない。予習なんだ。」

 

これが彼氏の決まり文句。彼は旅行が近くと予習モードに入る。一緒に住んでいるから、そんな様子が嫌でも目に入る。

暇を見つけては、まずは地理から攻める、だとか、今日は歴史だな、とか本やネットをひたすらに読みあさる。エスカレートすると、図書館にいって昔の文献にあたったり、その土地出身の作家の本を読破したりと、予習に余念がない。先日、旅先の神社を歩きながら、私はなんとはなしに意見を投げてみた。

 

「そこまでやらなくても、もっと自由に楽しんだらいいんじゃない。」

「せっかく行くなら、味わい尽くしたいじゃん。予習しないままきたら、この神社だってありがたみ感じないでしょ?」

ゴーサインをもらった犬のように、待ってましたと、彼の口からウンチクが流れでた。

「この辺の川は急流で昔は洪水ばっかだったから、ここでは治水の神様が祀られているんだ。まあ治水の神様なんて、今じゃありがたみないよね、いや雨漏りは心配いらなくるか。あと実は急流も悪いことばかりじゃなくて、上流から肥沃な土壌が運ばれるおかげで水に強いナシの名産地になったんだ。」

 

余計なサインを出してしまった。

「このナシの誕生は19世紀のフランスにさかのぼるんだけどね…」

まっすぐに私をみる目から話が長くなりそうな熱気を感じたので、「もういいから、お参りしよ?」とストップをかけた。

 

視野を広げるためと言うけど、予習に熱が入りすぎて視野が狭くなってる気もする。彼のきまじめさには付きあいきれない時がある。

 

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歴史ばっかりじゃつまらないから、先週は私の提案で富士急に行った。

聞いてもない雑学で舌の回る彼も、この日はいつになくおとなしかった。さすがに遊園地に予習はなかったんだろうな。珍しく穏やかな気持ちでジェットコースターに並んだ。取りだしたスマホの画面を眺める彼は、顔をしかめたり目を見開いたり、忙しく表情を変えていた。横から覗きこむと、それはコースターに乗った一人称視点のFUJIYAMAの動画だった。

 

彼は眉をつりあげて言った。

「いいか。これは、楽しむための予習なんだ。」

理屈っぽい彼のスキを見つけると、私は楽しくなる。

「ビビってるだけなんじゃない?」

「違う。コースがどんな意図で設計されてるのか考えといた方がいいだろ。」

ああ楽しみだ、予習予習、とかブツブツ言いながら、動画をループして2・3週目に入っても彼の足は震えていた。

 

順番が回っていよいよコースターに乗りこんだ。動きだす。ジリジリと高度を増していく。

「はいはいはい。こんな感じだよね。登ったらちょっと右に曲がって、一気に落ちるんだよ。知ってるからな。」

私だけに聞こえる声で彼はぼやいてる。左手にはきれいな雪化粧をまとった富士山が見えるけど、彼の目にはレールの白色しか入らないらしい。くだりに差しかかる。

 

「ぎゅおおあぁああああおおあぁああああ」

 

叫び慣れていないカラダから断末魔のような奇声があがり、地上の人の注目を集めた。

 

降りてからはしばらくの放心状態を経て、

「思ったより楽しかったな。」

と憑き物が落ちたようにケロッとして元の饒舌に戻った。今思うと、あれは本当に彼に憑いたモノノケの断末魔だったんじゃないか。

 

次のアトラクションに並ぶと、彼は晴れやかになった顔を向けて口を開く。

「富士急は1961年に開場したスケート場がルーツなんだけどさ…」

いや、ちゃんと予習してたのか。ツッコミをいれたくなったけど、待ち時間はヒマだから、この日は付きあってあげることにした。

 

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長野のテントサウナに行くことになった。

 

「もう仕事に疲れちゃった。またどこかで癒されたいなあ。」

少しでも逃避したいと思って買った旅行雑誌をめくっていると、のどかな渓流をバックにした「大人の休日は大自然でととのう!」という力強いゴシック体に目がとまった。仕事もストレスも体脂肪も、全部ドロドロに溶かして、二酸化炭素と一緒に吸いだしてマイナスイオンに変えてほしい。

しかし数ヶ月先まで予約が取れない宿だとあって、ため息がでる。

「落ちついたらこんなとこ行きたいな。」

「そんなんじゃ一生行かないよ?すぐ行こう。」

「だって、予約取れないらしいよ。」

予約ページを開くとカレンダーは3ヶ月先までバツ印で埋め尽くされていたが、急なキャンセルがでたのか明後日の土曜の朝イチだけ一枠空きがあった。

「決まりだね。」

彼はニヤリとして言った。こうして金曜の仕事終わりに長野までドライブすることになった。

 

 

早めに仕事をあがって19時には家をでる約束。そのつもりで朝から2倍の集中力と、2分の1倍の完成度で仕事をこなしていった。それでも思うように進まない。

「帰るの21時くらいになりそう…!ごめんね、ダッシュで行く!」

とLINEするとすぐに彼からも返ってきた。「大丈夫よ。むしろちょうどよかった」

ちょうどよかったってどういうこと。聞いてもよかったけど、今はとにかく目の前の仕事に集中することにした。

 

やっとの思いで帰宅して家の扉をあけると、ムンムンと熱い空気がカラダにまとわりついてきた。

「なにこれ、暖房つけすぎじゃないの!?」

カバンを放って、リビングに駆ける。エアコンの設定は32℃。そして部屋の中央には、裸の全身をホッカイロで埋め尽くした人間が鎮座していた。

 

「カイロ貼りすぎてミイラみたいになってるじゃん!何やってるのよ」

「何って、サウナの予習だよ。サウナ、水風呂、外気浴のセットがどんなものか気になったから。」

彼は言った。「そういえばカイロといえば、カイロ市内でファラオのミイラが移転するって、引越パレードやってたね。死んでから3000年経っても死に顔をさらされるなんて可哀想だよね。僕が死んだら遺灰を海にまいて欲しいってのは贅沢かな。」

「今その話はいいから!もう出るからはやく汗流して!」

よく喋るミイラを脱衣所に押しこんで浴室のドアを開けると、バスタブには大量の氷が敷き詰められていた。

「こっちは水風呂の予習ね。」

あまりの用意周到さにあきれて言葉を失った。

 

 

サウナに着くまで4時間のドライブ。

車の中で彼と何を話していたか覚えていない。ただ途中でエレベーターがやってきて、地下に降りていく、そんなふうに自然と眠りに落ちてしまっていた。

ずいぶんと眠っていた気がする。いままで遠くで鳴りを潜めていた音楽やエンジンの音が急に頭の中にはいってくるから、自分が助手席に座っていたことを思いだしておもむろにまぶたを開ける。カーナビは深夜の2時を示している。

「ごめん、私ずっと眠ってたんだね…。」

「仕事も遅かったからずいぶん疲れてたんだね。でもホラ、もうすぐ着くよ。」

宿泊施設付きのサウナ。ここで仮眠をとって明日のサウナが本番になる。

体も重たい気がするし今日はさっさと寝よう。手短にチェックイン済まそうとして、フロントで投げられた言葉に虚をつかれた。

「誠に申しあげにくいのですが、お客様のお部屋を用意できておりません。決済が完了しなかったため仮予約がキャンセルされ、ほかのお客様の予約が入ってしまいました。」

 

どれくらいの時間立ち尽くしていたか分からない。ただひきつった笑顔で「そ、そうですよね…」と言ったきり、なにも言葉がでてこなかった。

その場にいてもたってもいられなくなって、逃げるようにフロントを出た私たちは行き場をなくして、車に引き返す。

 

エンジンがかかる音がすると、その後には何も続かなかった。さっきまで眠っていた座席にわずかに残る体温にさえ嫌気がさしてくる。

仕事もがんばったのに。4時間かけてきたのに。彼だってきっと疲れてる。それでも文句ひとつもなく連れてきてくれたのに。

 

「本当にごめん。私こんなミスばっかで、迷惑かけてばっかで。だから仕事もうまくいかないんだよね…。」

 

余計なことまでグチャグチャ頭を巡って、わけもわからないまま涙が頬を伝った。

彼はそんな私に少し微笑むと、リュックの中を手探りだす。

「このパターンは予習済みだよ。」

彼は言った。

「大丈夫、君の分もあるから。」

私に差しだした彼の手には、大量のホッカイロが握られていた。

彼はこんな時でも変なことを言うから、笑ってしまう。私は彼の手から溢れだそうとするカイロの中から一枚だけをつまんで抜きだした。

 

まだ封も切ってないのにカラダはじんわり熱くなっていた。

 

 

 

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お題:「ホッカイロ」 × 「サウナ」