「劇場」に棲みつく悲しき不器用モンスター
まぶたは薄い皮膚でしかないいはずなのに、風景が透けて見えたことはまだない。
もう少しで見えそうだと思ったりもするけど、眼を閉じた状態で見えているのは、まぶたの裏側の皮膚にすぎない。
あきらめて、まぶたをあげると、あたりまえのことだけれど風景が見える。
引用:又吉直樹「劇場」
久しぶりに手に取った又吉直樹の「劇場」という本は、
劇場の幕が開くかのように、まぶたが上がると、物語が始まった。
劇団を立ち上げ、演出家として生きる主人公「永田」は、公演をひらけば酷評の嵐、劇団員にも見放されるなか、自分の才能を一心に信じてくれる「沙希」と出会い、その笑顔に支えられる。
しかし演劇にのめり込むにつれ、演出家としての嫉妬や惨めさを沙希にぶつけるようになり、次第に気持ちはすれ違ってしまう。
そんな不器用な恋の話だった。
私が初めてこの物語を読んだのは、5年前。当時付き合っていた彼女と別れた後くらいのこと。
永田と沙希の関係が、理屈っぽい私とピュアな当時の彼女に痛く重なって思えて、読み進める手が止まらなかった。
身につまされる話だなあと思う一方で、「なんでそんな不器用やねん!」と永田の天邪鬼にもどかしくなる場面が多く、「ここまではひどくないな」と辛うじて安心したのを覚えている。
たとえば、
・永田と沙希がたまたま同じ本を買って帰ると、「同じこと考えてたんだね!」と喜ぶ沙希に対して、「金もないのに余計なことすんな」と苛立ちをあらわにしてしまったり。
・沙希が友人からもらった原付を、嫉妬から蹴っ飛ばして破壊してしまったり。
・家にこもってゲームに明け暮れる罪悪感から逃れようと、サッカーゲームに打ちこむ姿を勝ちにこだわるストイックな一面と受け取ってもらえないか考えて、物憂げな表情で画面に向きあったり。
なんでそんな不器用やねん!
感情表現が苦手な永田でも、人を呪うときには極めて饒舌になった。
『民芸品店で売ってるオシャレな小さじ。お前の小説はそんな感じやった。持っててもいいけど、別になくても困るようなものでものない。誰かは好きそうやなと思うけど、実際に集めてる人に会ったことはない。お前を脅威と感じない誰かは適当に褒めてくれると思う。』
そのくせ照れくさくて、酒を飲んだ夜にしか手を繋ぐこともできなかったりする。
「手つないでってい言うたら明日も覚えてる?」
「うん?どういうこと?」
「明日忘れてくれてんねやったら手つなぎたいと思って」
自意識と愛情の出力が歪な永田の不器用さを、人間らしいなとも思った。
温かいユーモアがあって、人と内面から向きあうけど、救いようのないほど感情と言動に折り合いがつけられない。彼はそんな愛すべき男だった。
もう少し素直になれてたら、きっと違った結末になってたんだろうな。
パタンと本を閉じて、表紙の文字を指でなぞる。
心に穴が開いたような、それでいて胸がすくような。不思議な読後感があって、笑いながら少しだけ泣いてしまった。
読み終えるとすっかり夜は深くなっていて、窓の外には満月がでていた。
夜風に当たりたくなった私は、羽織りもせずに部屋をでた。肌をさらう風には冬のにおいが混じっていたが、今の私には好ましく感じられた。
コンビニでコーヒーを買い、「濃いめ」のボタンを押して、液体が抽出されるのを待つ。
こんな深夜からブラックコーヒーを飲む私を、ストイックな一面があると誰か受け取ってくれないものか。
不必要な思いつきで店内を見回すと、プロテインを買っている明らかにジム帰りのマッチョと目があったので、コーヒーを引ったくってそそくさと店をでた。
丸まった背中が受ける風は、さっきより固さを帯びている気がした。
部屋に戻った私はいつものナイトルーティンに腕立て伏せをくわえた。
そして少しだけ穏やかになったところで床につき、
ようやく、この日はまぶたを下ろした。