"ふじもと"は堂々として素敵

"東京「まん延防止」適用"

私はニュースの見出しを見て、小1の担任のY先生を思い出した。学校でも評判の厳しい先生で、何かにつけて叱責されるのが怖くて登校したくない生徒も多かったらしい。しかし私にとっては怖いというより、温かくて大好きな先生だった。

Y先生が私に言ったことは今でも忘れられない。18年前、小1になって少しずつ漢字を覚えていた私は、習った端から漢字を使いたくて仕方ない病だった。私の名前に含まれる「本」という字を習った次のテストでは、名前欄にゴキゲンで「ふじ本」と書いた。

すると返却の時に先生は思わぬことを口にした。

——「ふじ本」って漢字とひらがなが混ざってるとかっこ悪いわよ。それだったら「ふじもと」って書いた方がホラ。堂々としてステキでしょ?

とにかく漢字を使うのがかっこいいと思っていた藤本少年の眼からは鱗が落ちた。確かにその通りだ。そうは思いつつも、次のテストでは頑張って覚えたぶきっちょな文字で「藤本」と書いた。そんな天邪鬼な私に、Y先生は、

——これが一番かっこいいわね。

と言って、名前に花丸をつけてくれた。

18年前のこの日を境に、私は画数の多い自分の名前をちょっと好きになった。

 

Y先生、元気にしてるかな。私はニュースを見てかつての恩師に思いを馳せた。"東京, まん延防止" という見出しに、Y先生なら「堂々と"まんえん"と書きなさいよ」と赤を入れるかもな。

"まん延するコロナ、骨粗しょう症障がい者はひっ迫する心身とし烈な戦い"  

なんてニュースを見た日には、卒倒するだろうな。とか考えてたらおかしくなった。

 

きっとY先生は私との些細なやり取りを覚えていない。でも私はこれから先もひらがなと漢字が混ざった表記を目にする度、脳内のY先生が檄を飛ばす様子を思い浮かべる。私の中でY先生は生き続けると思うと、不思議と背筋が伸びる感じがした。Y先生が見てるなら、丁寧に文字を書こうという意識も湧いてくる。

 

ただ最近は研究発表のスライドを作る時に、専門用語を日本語に直すのが面倒で、英語・日本語ごちゃ混ぜで書いてしまう。その度に渋い顔をしてこちらを睨むY先生に、私は知らんぷりを決め込んでいる。

そろそろY先生の厳しい部分が出てくるかもと思うと、ちょっぴり気まずい。