日食家族とお月様

私の友人は生活がルーズ、というか自由が過ぎる。夕方に連絡して、起きてる確率は五分五分。早朝4時の返信も珍しくない。極度な早寝早起きかという訳でもなく、日によってはマトモな人の顔をして、9時に起きて0時に寝てたりもする。

一見すると、とても複雑な生態に思えるが、当の彼にとっては何てことはない。己の睡魔に忠実であるから、寝たい時に寝て、活動したい時に活動する、それだけのシンプルなルールで暮らしている。

私が独自に進める研究では、彼の不規則な生活の中に一定の規則を見出している。おおよそ10時間の睡眠と12時間の活動を繰り返すという事だ。そう、彼の1日は22時間周期で回っていて、世界とは異なる時間軸で進んでいる。活動時間は2時間ずつずれ込んでいき、たまに普通の人の活動時間と見事に重なれば、彼がマトモな人の顔をできる日が訪れる。私はこれを"月食"と呼んでいる。

そんな茶目っけ溢れる彼の生活は母親譲りな様で、彼の母親も珍奇な生活を送っている。母親は母親で、息子と違うリズムで生活を送り、そのリズムは不安になるほど長い休符が現れたり、時に変拍子を刻んだり、息子をして「予測がつかない」と言わしめるほど難解だ。

ここまで読めば、親子共々1日24時間という規格に収まる器ではない事がわかったはずだ。彼らは世界の時間軸で暮らさない。世界、彼、母が対をなす存在として、それぞれの時間軸が並行して走っていると捉えるのが適切だろう。しかし、三者は決して交わらない訳ではない。ごく稀にその周期が重なる事もある。母親の起床時間と、彼の起床時間、そして一般的な起床時間が重なり、朝日を浴びる食卓を親子で囲む奇跡の瞬間が存在する。私はこれを"皆既日食"と呼んでいる。我々の住む世界が地球で、彼が月であり、それより偉大な母親は太陽と例えるべきだろうか。

我々地球の人間が、宇宙を挟んだ月の生活に干渉するのは容易ではない。彼は優先順位を明確に持っていて、限られた時間の使い方を自分の意思でコントロールしている。彼の中でNetflixに割り振られた時間を横取りしてご飯に誘うのは、単独でホームスチールを決めるくらい難しい。会って話すと誰もが親しみを覚える彼だが、誘って連れ出すのは少し手を焼く訳だ。近くにある様で、手が届かない、その深淵さこそが人々を惹きつける月の神秘なのかもしれない。

そんな彼もかつては恋人に合わせて生活していた事があると聞いて驚いた。まさにアポロ11号以来の衝撃だ。あの気まぐれお月様にも、かつて人類が降り立ったというニュースは我々に勇気を与える。私も月にいけるだろうか。アポロ計画以降果たせていない、月面着陸という人類の夢を私が果たせるだろうか。

だがきっと、それは難しい。NASAのアルテミス計画が難航している様に、私にも彼の生活を変えるだけのアイデアがないのだ。

ネクスト・ニール・アームストロングになりたいところだが、今のところ彼を引っ張り出せるほど私の腕っぷしは強くない。