前髪を片付ける鶴の一声
私はお祭りに乗じて髪型を変える。
就活が終わったときは、勢いで友人たちと髪をカラフルに染め上げ、京都でシェアハウスをはじめた。5年も遅れて大学一年生のようなハジけ方をする私たちに「黒のほうがよかった」と無情な声は惜しみなく注がれたが、こちらも簡単には引けない。「そんなん知らん!」と息巻いて闊歩する私達は、マックとコンビニが景観に配慮したせいで足りなくなっていた色彩を京都の街に添えた。
振り返ると一番思い切って髪型を変えたのは高3の春。私は坊主になった。
中高の運動会はお祭りそのもので、優勝できなかった人は反省の気持ちをこめて頭を丸める文化があった。そして私は、自分たちの高3種目で負けたものの、指導を担当する後輩の競技、副競技でともに優勝できたので最低限の仕事を果たした。この場合、通例だと坊主にしなくてもよい。しかし後輩が頑張ったのに、私たち高3がボロ負けしたせいで総合優勝を逃す結果になった。
そこに責任を感じないの?と最速で頭を丸めたパイオニア坊主に言われてしまったら立つ瀬がない。「よっしゃ俺も丸めたる!」そんな勢いで翌日には3mmになっていた。
通例だと坊主にしなくてもよい。
というわけで運動会のあとは一様に黒の学ランを着て、一様にジョリジョリな男たちが教室に詰められていた。
ここでは奇妙な逆転現象が起きることがあった。6年間の男子校生活でオシャレや清潔感のカルマからとっくに解脱した男たちも、外部の彼女と付き合い続ける一握りの勝ち組たちも、一様に裸の姿に戻る。すると「あれ、お前気づかなかったけど鼻筋めっちゃ通ってるな」とか「坊主にしてわかったけど、俺めっちゃ頭の形キレイだわ」とか、これまで見た目に気を使わなかった人が急に輝きを帯びたりする。逆もまたしかり。
制服も一緒、髪型も一緒、見た目にごまかしの効かないこの環境はある意味シビアかもしれない。純粋な素材だけで評価されるのは、生まれたての赤ン坊と同じだ。
赤ン坊達も平等に裸で平等にハゲ。そして「鼻がおっきくて、ぶちゃかわいいでちゅね〜」とか、思春期なら傷つきそうな忖度のない評価が投げられる。そういう意味では等しくシビアだ。
ただ一つ、この教室の男たちが赤ン坊と違うのは、悲しくも言葉を理解できてしまうこと。思春期まっただ中の私は、懸命に指導してかわいがった中1に「藤本さん髪の毛ないとかっこよさ1/4になりますね」と言われて、しっかりショックを受けたのを覚えている。
そして、現在。
就職を控えた私は、髪を染めた延長線で社会人になるまで髪を伸ばすと決めた。6月から順調に伸び続けた前髪はついに唇の下まで届いた。不潔だ、似合っていない。という親の声にも「そんなん知らん!」と再び知らんぷりを決めることに慣れつつあった。
年が明けて、元旦、私は自慢の前髪をぶらさげて親戚の集まりにむかう。久しぶりに祖父母と会えるのを楽しみにしていた。祖父はお酒が入るといつも順番に孫を褒めちぎるクセがあって、私はそれをニヤニヤしながら聞くのが好きだった。例に漏れず、この日も気分がよくなった祖父は孫達にくすぐったい言葉を投げていた。
しばらくして私が従兄弟と次の賛辞を予想する褒め言葉ダービーをはじめたぐらいで、祖父の照準は私にあたった。
「お前はな、こういうとこがあって、こうこうこうで素晴らしい!!」
いつものように褒められて、いつものように嬉しくなる私。ここまでは。
「ただな。その前髪はダメ髪だ!」
こうして祭りは終わった。
祖父が厳しいから従わないと、とかではない。むしろ甘い。ただ長老が終わりと言ったから、私の中で祭りが終わった。ピピーと号令がかかると、脳内ではたちまち提灯の明かりが消えて、神輿が片付けられた。そして気がつくと私は新年の営業開始にあわせて美容院の鏡の前にいた。
もう普通の髪型になってしまったし、しばらくは挑戦することもないだろうな。少し寂しくもあり、安心もしてる。また大遅刻でもして坊主頭と再開しないことを願う。