犬も歩けば棒にあたるってやつだな【歩くを考える #3】

「犬も歩けば棒にあたる」という言葉が愛おしくてたまらない。

ご存知の通り、何か行動を起こそうとして、災難にあうという意味だ。

 

ことわざといえば?と問えば、多くの人がこの言葉を浮かべるだろう。

しかしその知名度の割に、日常会話で使うことはほとんどない。

 

皆ことわざの引きだしの一番上に入れたまま、古今東西線ゲームか、SAPIXの授業のとき以外は鍵を閉めてしまっている。

 

仮にあなたが「たまには遠出して大きな神社に参列してみよう」と意気込んで初詣に行き、不運にも人混みからコロナウイルスを頂戴したとする。あなたは絶対に「まさに犬も歩けば棒に当たるってやつだな」とは言わない。断言できる。

たとえそれが戌年だったとしてもだ。

 

そもそもことわざなんて日常会話には必要ない。使わない言葉なんて消えてしまえ、という過激派日本語ミニマリストの主張はある意味でスジが通っている。

 

ただガラクタ好きな私は、なくてもいいけどあってもいい、そんなゆで卵スライサーみたいな語彙に囲まれながら生きていたい。犬も歩けば棒にあたる選手には、スーパーサブとして胸を張って生きてほしい。

 

そんなことを考えていたある日。

打ち合わせで私の余計な発言がきっかけで、要らぬ宿題をもらってしまった。会議が終わって先輩に「あれは完全に藪蛇でしたね、すみません」と言ったときに、ハッと気づく。

 

小学校のことわざの授業では、「犬も歩けば棒にあたる」と「薮をつついて蛇を出す」も平等に覚えた。同じようにことわざの引きだしに詰め込んだ犬と蛇。それがいつの間にか蛇だけ抱えて、日常会話のケージに移して飼っていたようだ。

 

今どうしてるかな。

 

久々に鍵を開けて引き出しのスキマから中を覗いてみると、こちらを見上げる犬と目があった。犬は立ちあがり、引き出しの中をしっぽを振りながら甘えた調子で歩き始める。

 

いいんだよ。お前は決して負け犬じゃないし、そこが一番輝いているんだよ。

 

私が語りかけて、引きだしを閉じた瞬間。ちょうど飛びあがった犬のしっぽを巻き込み、悲痛の叫びが響き渡った。

 

「犬も歩けば棒に当たるってやつだな」

 

さすがの私も口にせざるを得なかった。