やってよかったICL

視界がクリアだと気分がいい。

先日の日記でも述べたとおり、私はICLという眼の中にコンタクトレンズを埋め込む手術を受けた。術後の経過も良好だ。寝起きでも視界が明瞭なのは感動する。最起き抜けに寝ぼけたままコップ1杯の水を飲み、前よりクッキリと映る茶しぶを気にしながら一日が始まる。

 

本当にやって良かった。今ではそう思う。
ただ、あの手術はすさまじい恐怖体験だった。

 

※以下は繊細でビビりな個人の感想です。執刀医の方にも、紹介してくれた友人にも深く感謝しています。

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手術当日に遡る。手術台で横になった私に、眼を開いた状態で固定する器具がはめられた。私から自由を奪って恐怖をよこした忌々しい器具である。

 

「眼をライトで照らします。眩しいですが、中心をずっと見ていてください」

執刀医の声とともに、ライトが照射される。眩しい…。反射的に閉じようとしたまぶたは、例の器具にせき止められる。眼を閉じたい時に、閉じられないというのは気味が悪い。私は光を嫌うゴキブリのように、顔を逸らしたくなる衝動を強靭な精神で押さえつけてライトに向きあった。

 

そして手術は始まる。レーザーで角膜を切開していく。眩しさにクラクラしながらも、眼球にメスが入れられる様を間接視野で認識する。この奇妙な状況を前に、私の心臓は破裂しそうになる。浅く不規則な脈をうって、正気を保つのに必要最低限の酸素を脳に運ぶので精一杯だった。

 

深く息を吐いて落ち着こうとするが、呼吸の仕方もよくわからなくなっている。吐こうとすると不規則にキュッと弁が閉じてしまって、制御が効かない。

ひっひっふー。ひっひっひっキュッ。ひっキュッ。

思いつきでラマーズ法を試してみたが、極限状態ではリズムも取れなかった。出産の大変さを垣間見た気がする。

 

手術が進むと、眼球にたまった血を流すために度々水をかけられる。私が最も恐れたのはこのタイミングだ。眩しさに慣れ始めたところで水をかけられると、視界がグチャグチャに歪んで、再び眩しさが襲う。水風呂の冷たさに慣れたところで、いったん引き上げられ、また突き落とされる感覚だ。

 

こうして視界の左右から交互にメスと水を入れられることで、手術は進んでいった。

「大丈夫ですよー。うまくいってますからね。」

と何度も声をかけてもらったのは、私の緊張が執刀医の方にも伝わっていたからだろう。眩しい光の中、視界が揺れたり、水に流されてぼやけたり。それなのに、麻酔のおかげで痛みはない。このギャップすら気持ち悪く、生きた心地がしなかった。

 

どこか超自然的な世界で溺れているようだ。私は三途の川で溺れているのか。まばゆい光は天国からのお導きか、それとも地獄の炎か。彼岸に渡れず、三途の川の流れに身をまかせたら辿りつく先は一体どこなんだろう。善人には彼岸に向かう橋を通れるが、重罪人は激流を歩いて渡らなければならないと聞く。いま激流に飲まれている私の何がそんなに悪かったと言うのか。手違きに不備がある。責任者はどこか。

 

……などと考えている余裕はなかった。ただ無心で耐えて、耐えて、ようやく右目の施術が終わった。心臓はまだ落ち着かないが、意識が現世に戻ってくる。

 

テンポよく左目の施術に移ろうとする執刀医に、私は「起き上がって深呼吸させてください」とお願いした。

 

呼吸を確認する。

ひっひっふー。ひっひっふー。

落ち着いてきた。改めて生を実感する。今度は大丈夫だ。

再び寝かされ左目がライトに照らされ、左目の手術が始まる。

 

そして傷口から血が滲んできた時。

 

ピシャリ。

眼に水を流された途端、視界が歪み、眩しくて真っ白なはずの視界が突然暗転した。

あっこれ、ダメなやつ。

 

中学の時に彫刻刀を指に突き刺して以来。私は10年ぶり二度目の失神を経験した。